神戸居留地

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居留地(明治15年頃のものと明治30年頃のもの)の模型は神戸市立博物館の1階に常設展示されています。縮尺200分の1。

★2009年12月25日26日旧居留地96番97番市役所3号棟跡工事現場より明治後半の製茶会社ヘリヤ商会の遺跡が発掘されました。

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異 人 館 め ぐ り

旧居留地を北に向かって坂を登ると北野町。商売繁盛でなかなかホッとできない観光地ですが

これまで撮ったもののなかから私の気に入っているBest3を掲載します。

  

2002年4月13日神戸外国人居留地研究会で坂本勝比古先生の案内により異人館周辺の見学会がありました。

今まで少々うるさすぎるくらい賑やかで華やかなだけと思っていた現地のなかで、一瞬「これはいい!」と思えるような空間を教えていただきました。迷路のような裏道を通れば、ここは観光地というだけでなく、景観を守られてきた住宅地であるということを実感しました。以下にそのとき撮った写真で私がいいと思ったものを展示します。クリックすれば拡大できます。ちなみにおすすめの参考図書の中に神戸市教育委員会編集・発行の「異人館のある町並み 北野・山本」という本があります。その中の「歴史的背景と伝建地区保存の経過」という坂本氏の文章から少し引用します。

「1868年1月1日の兵庫開港は、今日の大都市神戸を生む原動力となった。このとき設けられた外国人居留地は、海外貿易の窓口となるが、開港直後の居留地はその造成整備が間に合わず、来航した外国商人達は住居をその周辺に求めざるを得なかった。このため生まれたのが雑居地であり、外国人たちはそれぞれ地主と交渉して永代借地を得て、居留地外に居住することが可能となった。したがって居留地の周辺さらに山手の田園地帯に、外国人居住のための地所が点在するようになる。」

  

 


1870(明治3)年 J・W・ハート(John William Hart)が1870年に作成した計画図。居留地内は126区画に整然と分けられ、西端には

パブリック・ガーデン、海岸に沿ってプロムナード、生田川堤防跡を利用してレクレーション・グランド(現在の東遊園地)が設けられている。

下水道の流路、歩道、街灯の位置などが示され、当初から諸施設が計画的だったことがわかる。

ハートはイギリスのリバプール生まれの土木技師。ペルーを経て上海で船渠のせ製造に携わったのち、1868年に来神した。英字新聞

『THE HIOGO&HERALD』には1868年8月26日付で土木技師として開業した旨の広告が掲載されている。神戸では居留地行司局

の技師として海岸の埋立、護岸、下水道の設計など居留地の計画と施工監督などにあたった。1873年に神戸を去り、のちに上海で

上水道を完成させた。ロンドン北西部のハムステッド墓地にあるハートの墓碑銘によると1900(明治33)年に63才で没した。

(神戸市立博物館展示時の説明より引用)

これと同様な1872年(明治5年)作成の地図もある。長さ156.8cmで大変大きなものである。

この史料の掲載にあたっては神戸市立中央図書館のご協力を得ました。ありがとうございました。

画質がいまいちですがクリックすれば拡大できます。

 


震災MEMORIAL

こちらのコーナーでは1995年1月17日の阪神大震災で惜しくも失われたが記憶に残る建築を簡単にご紹介します。

建築写真をクリックしてください。

参考文献:『神戸の近代洋風建築』1990神戸市教育委員会  『異人館復興 神戸市伝統的建造物修復記録』1998・1


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