青島(チンタオ)REPORT

↑1912年の地図

以下は2008年9月5日〜7日まで3日間、旅行したときの記録です。

1・今回の旅の意義

  前回のアモイヘの旅からもうすぐ丸2年。今回はかなり中国語をがんばって(?)からの出発だったが・・。まだネイティブの方たちの速いスピードにはついていけない。

  数字をすぐに理解できない。でも前回よりは少なくとも「心が伝わる嬉しさ」などもかなり感じられて楽しい(エキサイティングな)旅になった。

  あと、見知らぬ相手に対する礼儀の言葉の大切さも思い知らされた。(ちょっとお尋ねしたいのですが)「チンウェン」・・これをつけ加えることによってかなり親切に教えてくれた方が多かった。日本語に置き換えて考えてみれば、当然のことだが。

実は「旧日本地名めぐる1日ツアー」というのがあったのだが、人数が集まらないのであきらめたのだった。現地についてから(一人なので)800元でどうか?と言われたのだが元は500元少しなのにそれでは高すぎる、というわけで今回はやめにした。700元ならお願いします、と答えておいたが結局取りやめになった。一日目、日本語の堪能なガイドさんに案内してもらったのだが、明日もこの調子だと思うと自由に歩けないなあ(写真撮るのに気を使うし、どことなく急いでるみたいだし)、と判断した結果だった。確かに効率よく回れるだろうが・・。私がそのツアーをあきらめた理由はもうひとつあるがそれは下に書きました。まぁ、これから将来、誰かと行く機会があればラッキーだろうなあ、とぼんやり思っている。あるいは史跡のようなものは破壊されるかもしれない。

2・ 日程と内容

初日:ガイド付きオプショナルツアー(午後のみ)

@ A B C D

  @迎賓館
   若い学生風の観光客がいっぱい。2階の一室で本や絵葉書を販売していた。もう一度一人でゆっくり見たかった気もする。気になる本1冊発見!

   でも分厚い・・中国語・・きっと買っても本棚に飾るだけで読まないだろう。

  A基督教会
   外観は立派・内部撮影不可・薄い水色(だったか)のステンドグラスが印象的。概観とは逆にあっさりしたイメージ。
  B天主教堂
   内部工事中とのことで外観のみ見学。残念!広場の端で花嫁が写真を撮っていた。
  C青島駅
   坂を下ってだんだん賑やかな町になってきた。大学生の夏休みの終わりの歓迎会の待ち合わせらしき人がたくさんでパワーにあふれていた。
  D小魚山
   タクシーで行ったのであっという間に着いてしまった。3重の塔内部は観光みやげ物屋だが上にも上れて展望台になっている。写真をクリックすると展望台からの眺めが見られます。


二日目:終日フリー

@ A C D E

私は朝が早い。夜に出歩かないので明るい朝から行動する。本当は夜も外出したいのだが、女なので安全上、やめておく。ここが女は損だとつくづく思う。(でも逆に弱い立場の人と接するとき警戒されなくていいかもしれない)ホテルの朝食が始まるのを待ってると時間がもったいないのでさっさと出かける用意。 

@花石楼・・まずタクシーを拾って八大関の花石楼へ向かった。当然まだあいていない。
その代わりウェディングドレス姿の女性たちと普段着の男性のカップルが多数とカメラマンが、忙しそうに浜辺へ向かっていた。後からガイドの方におしえてもらったのだが、これはロケも結婚式でもなく、そういうふうに海で記念写真を撮るのだそうだ。私は時間が余っていたのでこの閑静なまちをしばらく散歩することにした。ちょっとおなかがすいたので以前から気になっていた屋台での人々の朝食をのぞいてみることにした。家族でやってる小さいお店で揚げパン(ヨウテャオ)を2本だけ買った。若い女の子でも4,5本入ったビニール袋を持って学校(お仕事?)に向かっていた。「豆乳スープ」らしき物も売っていてこれはなんとビニール袋に入れて近所の人は家へ持って帰るみたいだ。私は飲んでみたかったけど屋台で食べるにの少し勇気が行ったのでヨウテャオだけにしておいた。海辺ではこの季節ではまだ海水浴場になっていたが、まだ朝早かったので暇そうな屋台の中学生くらいのアルバイト風女の子の店でコーラを買った。冷えてなかった。私が日本人だということに少し興味を感じたみたいだったが何をしゃべっていいかわからなかった。
そしてようやく花石楼が開館したみたいなので入場した。中には三世代でやっているお土産屋さんがあった。私が日本人だということに興味を持ってくれていたみたいだ。特に大学生くらい?の女の子はいろいろ絵葉書や本を薦めてくれた。これがよくあるみたいに押し付けふうではなく、本当にいいものを勧めてくれる、という感じだったので、私はお勧めの本を1冊購入。「ピャオリャン」と言っていたが、本当、写真がきれいで説明も中国語ではあったが読みやすそうで値段もまぁ手ごろだった。
ここの塔は中の螺旋階段をグングン上っていくと屋上が展望台になっているのだ。
さて今度は海岸沿いを歩いて西のほうへと戻っていった。だんだん日差しも強くなってきて人々の数も増えてきた。
 

A次に「海底世界」という人気のある水族館に行ってみた。観光客も多かった。車も多くなってきて無理に横断してちょっと危険な目にもあった。入り口を探すのに手間取った。
中へ入ってまず驚くのが生きている海の生物というより、ホルマリン漬けになってビンに入っているものがほとんどで他には模型が多かったことだ。クジラの巨大な骨も展示してあったが。「マッコウクジラ室」というのは実物大の模型だった。記念写真をとる人がやたら多かった。ここまでは入場料のわりにしょぼかったのでちょっと拍子抜けしてしまったが、実はその先もあったのだ。この水族館は地下になっていて地上は大きな道路だった。それで出口から入った私は入り口に気づかなかったのだ。やがてベルトコンベアーのような自動の歩道に変わり、チューブの中を進むと周囲がすべて巨大な水槽になった。マンタも大きなサメもいた。そして最後の場面は巨大な円柱状の水槽だった。中には色とりどりの熱帯魚が泳いでいた。あまり元気がなかったがクリオネもいた。クラゲもいた。どちらも照明に赤い色が付いていたので不自然に見えたが。
皆、携帯で写真を撮っていたが、デジカメの人はちょっと少なかったようだ。
最後はお土産屋さん。佃煮やスルメみたいなのも結構種類が豊富だったが、食べ物だと日本人のなかには中国産と聞いただけでいやな顔をする人も結構いるのでお土産に買うのはお茶にしておいた。グッズも日本の海遊館や須磨の水族園のほうがずっといいので。

B昼食・・初めての食事。言葉がわからなくてかなりあたふたしていてかっこ悪かった。お母さんのほうはあきれていたが、お嬢さんのほうが結構親切に対応してくれた。頼んだのはシャオロンポウ。小さいのが8つも出てきた!!おいしかったけど量はこれは二人分だなぁ・・一人旅のときは、本当、食事が一番困る。飲み物は「ウーロン茶」と言ったのに伝わらず、なんかわからなかったので結局水ににした。

C小青島・・かなり暑くなってきた。入場料取ったのに何もなかった。白い灯台にすら登れなかった。ここはジェットスキー乗り場にもなっていた。気持ちよさそうだった。ウェディングドレス姿の女性とカメラチームがまたいた。今度は本当のロケのようだった。観光客はほとんどいなかった。

D海軍博物館・・戦艦が4隻、潜水艦が1隻もあった。しかもこれら全部にいちいち入らなければならない。軍事物が好きな人やマニアはすごく嬉しいだろうけど私みたいな普通の人にはちょっとめんどくさかった。しかも最後のトドメが「恐怖のマネキンお化け屋敷」と来た。でも潜水艦の中に入れたのはかなり珍しい経験だと思う。幼稚園くらいの小さな男の子が入るのを怖がっていて、泣いていたのがすごくかわいかった。(あれなら怖いだろうな、と私でも思った)終わりのほうになるとご機嫌も直っていたが。この博物館は屋外展示も多くてかなりの敷地面積だった。しかも新しい建物にもなるみたいだ。周辺はちょっとした廃墟になっているところ(ていうかもう建物の形がほとんど残っていない。)も結構多かった。

E監獄博物館・・昨年度新しくできた博物館で裏手はレストランになっていて明るい雰囲気ではあるが、最後のほうは迷路みたいになってたし、他に一人しかいなかったしまさに「お化け屋敷」だった。
    そしてここでもまた気になる本を見つけた。でも中国語だし、3000円くらいもするし、買っても読まないだろうなあ、と思い、勉強にはなるかもしれないけど買わなかった。ここは日本語の表示もあった。もちろん、歴史でドイツだけでなく日本とも深くかかわった土地だから。そこが私が建築以外に今回突っ込みたかったところなのだが・。
旧日本地名をめぐるツアーは私は1年くらいあるいはそれ以上待ったけど集客人数に満たなかった。それにもうその建物の痕はあまり残っていないと初日のガイドの方が言っておられた。

三日目(最終日):午前のみフリー

ビール博物館 空港

今日は午前中にはホテルに戻っていないといけないので、アモイのときみたいに失敗しないように余裕を持って計画を一つに絞った。それは「ビール博物館」!
早すぎるのをわかっていたが、早くから出かけた。開館までは周辺の散歩。朝にはまだ営業しない「飲み屋」(ビール!)みたいな店がずーっと続いていて、裏を一つ入れば下町風の高層住宅みたいな感じになっていた。なんか歩き疲れたなぁ・・と思って歩いていると年配のおばあさん二人が親しげな感じで声をかけてくれた。私のリュックを見て「肩がこるでしょう?」と言っているようだった。ここでまた私は揚げパンを買う。自分で食べないかもしれないけど。
開館時間近くになると待っている人や現地の人たちのツアー客でだんだん増えてきた。でも彼らの先頭の引率の若い女性がはすごい勢いで説明して、全員風のように去っていった。ここでも日本との関わりが示されたポスターや説明板があった。彼らはビールの試飲会場で楽しげににぎわっていた。私はアルコールにはあまり強くないので一人だし我慢。
あともう少し時間があれば新市街へ出て大きな書店に行ってみたかったが、もう1時間くらいしか残ってないのでやめておいた。

さて残り時間わずか10分ほどのとき、部屋でボーっとしていると、突然ものすごい爆竹のような音が!!何かと思ってちょっとこわごわ窓の外を見ても何も見えなかったが、1階に下りてわかった。結婚式だった。賑やかに赤い衣装をまとった嬉しそうな中年婦人の団体が踊りながら進んでいたみたいだった。花嫁はきれいなひとだった。花婿と共に向かいのエレベーターに乗っていった。中国の人ってお祭り騒ぎが好きなのだなぁ、と私は納得していた。

青島流亭国際空港も2008年オリンピック仕様になっていた。赤のバックに白の渦巻き模様のついたアームのようなものが左側に何本か出ているのが写真に小さく写ってますがそれです。ちょうどパラリンピックの始まった時期でした。

あと道端の果物屋さん。日本では高い、ブドウ(緑のも紫のも)、モモ、みかんが安く、りんごは小ぶりでミニトマトはまん丸でなくて上下がつぼんだラグビーボールの形、すいかも売っていた。

3・今回購入したグッズ

 

4・反省点

  自分自身、写真を撮るのに忙しくて日本やドイツとどのようにかかわってきたかの研究ができていない。本を買って読むのがいいのだろうが、中国語の学力がないのでちょっと無理。建築物は名称(用途)が変わったり、古い建物が取り壊されたりするケースが多く、  あまり古い資料だと役に立たない。昔からのドイツ風な残っている建物も多いが、最近になって新しくドイツ風に作った(見せかけの)建物もかなりあると思った。(素人目ですが・・)


名前の判明した建物

ドイツ海軍営旧址 警察署 桟橋会館 世界卍字会青島分会旧址
青島海洋大学

(元中学校)

青島城市建設集団オフィス 徳華銀行旧址 ドイツ総督府跡

名もない名建築

青島の旧市街を歩いて目に付いた趣のある建物を紹介します。

印象的な風景

基督教堂周辺の並木道 青島駅へ向かう道路に並ぶお店。

都会化でなくなってしまうかもしれないらしい。

浜辺。結婚記念のための

写真撮影場になっている。

テレビ塔がぼんやり見える。 海軍博物館周辺の上り坂。

参考図書

<日本語の資料>

・週刊中国悠遊紀行 (小学館2005年発行)

・全調査 東アジア近代の都市と建築

・旅名人ブックス「青島と山東半島」(日経BP企画・2007年11月)

<中文の資料>

・中国近代建築総覧 青島篇  汪坦・主編 1992年


参考サイト

青島についての基本情報は下記のサイトを参照してください。

中国・青島@建築探訪記


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